CM


会社にいたときより、ずいぶんとテレビ視聴時間が増えました。


ですが、改めて、CMってほっとんど意識的に見ていないものだと実感します。
番組見てても、CMに切り替わった瞬間、PCや携帯に向かうし、もしくは別の番組にスイッチするし。


この前ある広告について、その担当者に話を聞いて初めて「あー、そういうことなんだ」とわかりました。一緒にいた他の人たちも同様。
別にむずかしいこと言ってる訳じゃないんだけど、いちいちCMについて深く考えないんですよね。世の中の人は。CMに、もっというとテレビに、昔ほど真剣に対峙なんかしていないから、ちょっと考えさせるような、余韻を持たせたり、ワンクッション置くCMなんて、誰も付き合ってくれなくなっているといってもいいかもしれない。


だから、CMの「強さ」と表現されていましたが、要は目や耳に入ってきた瞬間のインパクトで勝負できるものが増えてきていて、そういう時流の中で「自分は社内(TUGBOAT)のコンペで勝てなくなってきている」と岡氏は書いています。


が、個人的に私は嫌いなんですよねぇ・・・。そういうCM。


不条理な設定や、意味わからないけど絵的におもしろい、とか、突飛なものの組み合わせでインパクト出すとか、意味わからなさがおもしろい、みたいなやつ。
だって、そういうのってそこにある商品は、別の商品にすり替えても成り立つんだもん。
なんかクライアントも「有名なクリエイターがこれが面白いって言っているから」という理由でOKだしてんじゃないの?とか勘ぐっちゃう。何の必然性があって、この企画なんだよ、とかすごい思ってしまうのだが。事実、某クリエイターが某番組で「CMのおもしろさは、自分がおもしろいと思った思いつきをどんどん次々くるお題に対して入れ込んでいって、大量生産できるところ(ニュアンス的には、その思い付きと商品との結びつきの必然性がない様子)」みたいなことを言ってたし、文中でも「単純な思いつきで企画を出しても、頭のいいクライアントは自分たちでロジックを組み立ててくれる」みたいなことを書いていたし(それは岡氏の企画ではない)。なんか、CMってそんなある一部のクリエイターのオモチャみたいなものになっていていいのかなぁ?しかもそういう人がやるものって、得てして出稿量が多いから、なんかほぼ強制的に目に入ってきちゃうし。意味わからないものを見せて「これおもしろいでしょ?」ってクリエイターの傲慢さを押し付けられているようで、不快な気分になるものが割りと多い。「別におもしろくないんですけど。」って、誰に言えばいいのかやり場に困る。CMって、暴力的でもある。


岡さんの作った、フジテレビもJR東日本も、オリンピックのCMも、15秒であれだけドラマがあって、コンセプチュアルで、とても商品やブランドや消費者を見つめた、熟慮されて作られたものだった。のに、もうそういうものが流行らないというのは、本気で悲しいなぁ・・・。ってか、私が単なるファンなだけ!?


当時、岡氏が佐藤雅彦氏の隣の席で、ずっとコンプレックスを持ち続けていた話のくだりとかおもしろいです。