遺していくもの。

gris-bijoux2006-02-22

先日、料理の本をひっくり返していたら、大学時代に通っていた料理教室のレシピ集が挟まっていました。


料理教室、といっても、個人のお宅でやるようなやつだったんですけど、
本郷の少し奥の住宅街に、古いのだけど、とても品のいい日本家屋(?)があって、そこに住んでいるおばあさんが先生でした。


“昔からある、東京の山の手の、感じがよい暮らし”というのはこういう風なのかな、とすごく私はそのお家が好きでした。別に全然華美とかではないんだけど、こざっぱり文化水準が高く生活するとこんなかんじだろうと思われる、なんかこう、大学教授とか住んでそうな家というのでしょうか。


そして、私はもう卒業して、そこに通うのも止めてしまって、しばらくしてその先生はお亡くなりになってしまいました。



懐かしいなぁ、と思って、レシピをみながらビーフストロガノフを作ったのですが、「あぁ、この味作ったなぁ。おいしかったなぁ。」と、妙に当時のことがふっと蘇ってきて、そんなに先生とはつながりがすごいあった、という訳ではないけど、でも、先生が亡くなっても、先生が作った料理はこういう風に教え子たちの生活に入り込んで、そしてそのレシピがまたその子どもたちとかに受け継がれていくんだなぁ、とよくわかりませんが、感慨深かったんですよね。


私はおそらく何か後世に残るような大仕事をする人生を送ることはないと思うのだけど、なんとなくこういうぐらいのささやかな、でもちょっと気の利いた何かを遺して死んでいけたら粋だなぁ、と思います。


オリンピックの選手が「子どもたちに夢を与えられるような・・・」というありがちな発言を、ベタだなぁ、と思いながら聞きつつも、でも、結局あんなすごい人たちも(しかもみんな若いけど)何か記録とかそういうところとは別に遺したいものがあるんだよね、と人間の本来的な欲求について思いをはせてみました(って、話が大きすぎ)。



ARENAのピアス。 (→完売御礼)