話は戻って。

gris-bijoux2006-09-18

フランスで今回一番感動した光景がなんだったかというと。



1つしかない販売機で切符を買おうとしたところ、自分の番になったら突如機械が壊れてしまって、というのも、たぶん機械の画面が変わるスピードよりも早くボタンを押してしまったがために画面が固まっちゃった模様。


なにしろ1つしかないし、列が長かったのを知っていたので、さぞかし後ろに並んでいる人たちはイライラしてるんだろうなぁ・・・と恐る恐る振り返ると・・・、
誰一人として気にせず



新聞読んだり、友達としゃべってたり、後ろにいる人に「壊れちゃったんだけど。」って言ったら、煙草吸いながら「あー、そのまま待ってたら?」といったリアクション(フランス語がわからないので、たぶんそう言ってたようなかんじ)。みんな、超のんき。



その誰もイライラしていない様子が、なんか妙にうれしかったんですよね。



日本だったら、私もそうだけど、確実にそんな状況だったら周りがすごいイライラしているのが伝わってくるし、例えば、向こうってオーダー取りに来るのも遅かったり、料理も出てくるの遅かったりするけど、日本人みたいにそのことにお客さんがピリピリしているようなかんじは見受けられないし、例えば展示会場も地下鉄の中も冷房いまいち効いてなかったりして、そのことだって、日本人だったらイライラしそうだし、なんか全体的に非効率なかんじがするんだけど、なんかそれはそれでそのままうまくまわっているかんじがするというか。


よく、向こうの人は“いいかげん”だから、というけど、実際機械や人がきまぐれだったり、いろんなことが行き届いていなくても、それが当たり前だから、まぁ、そんなもんだ、と思っているので、イライラしないんだろうなぁ。日本だったら、サービスは100%完璧で当たり前、物事スムーズにいって当たり前、と“普通”のハードルが高いので、ちょっとのことでイライラ、ピリピリんですよね。


で、その“普通”の状態のレベルの高さ、が日本のすばらしいところ、とよく言われるけど、そこだけ見ると確かにすごいんだけど、でも、その結果、ちょっとしたミスや非効率なこと、そういうことにものすごい神経質になっちゃうというか、イライラ、ピリピリしてしまっちゃっていることってどうなんだろう、と思いました。たぶんサービスだけじゃなくて、人に対してもそういう寛容さがない気がする。「まぁ、そんなもんだよね。そんなこともあるよね。」と、人のいいかげんさとかそういうのを受け入れる余裕、大雑把さ、みたいのがある社会の方が私自身のタイプとしては生きやすい気がしたな。中国の工場に行ったときも同じように思ったかも。「何でオレンジもレモン色も同じ“黄色”って判別するんだ(怒)!!」と怒っている人もいて、ごもっともなんだけど、なんか私は笑っちゃうというか、私はそのかんじ嫌いじゃなかったです(笑)。


写真は新入荷のmadoさんのネックレス。ベージュや黒の首もとの開いたセーターとかにするとおとなっぽくて、すごいきれいです。\13650. (→完売御礼)