この人たち、ばかじゃないのか

gris-bijoux2007-07-14

宮澤章夫ってどういうかんじでしゃべるん人なんだろう、とずっと思ってたので、紀伊国屋ホールまでトークショーを聞きにいってきました。


「80年代地下文化論講義」に引き続き、「ノイズ文化論」の出版記念で、第一部が内野儀、第二部が土屋敏男電波少年のT部長ね)がゲストだったんだけど、アカデミックな話とばかな話を全く同じトーンでしゃべれる宮澤章夫は、思ったとおりかなりかっこよかったです。


「ノイズ」=“不合理”なもの、“無駄”なものが徹底して排除される現在の社会の現状について書いた(というか、東大で講義した)本で、その一つとして、第二部は



この人たち、ばかじゃないのか 〜愛すべきノイジーな人びと〜



というテーマで、二人が「元気がでるテレビ」をやっていた時代のテレビマンたちがいかに“尊敬すべきばか”であったかをずっと話すというもの。


大真面目に繰り出す企画が次々くだらなすぎて、超笑えた。ほんと、ばかだよ。


でも、今って確かに深夜の番組は単なるゴールデンのお試し枠になっていて、昔みたいに深夜でしかありえないエッジの効いた“毒”のある番組は無くなってきているし、更に「ホリエモンに買収されそうになったとき、フジテレビの社長が“テレビの公共性”みたいなことを掲げちゃったでしょ。ああなったら、テレビのいい意味での“でたらめ”感がなくなって、超まともなことしか出来なくなるよね。」と言っていて、結果「テレビがどんどん“漂白”されていて、グレー〜黒の部分はネットが請け負う構造になっている」と表現していました。なるほどね。


ちなみに二人が大絶賛していたのが、これ↓。
YouTube


「高円寺ニート組合」という人たちが、きちんと条例を遵守して届出を出してデモをする様子なんだけど、超やるきないの。3人だし(笑)。公安の人とか顔出ちゃってるけど、いいのか。その他この人たちは、クリスマスに新宿駅でこたつを出して鍋をする「クリスマス粉砕集会」っていうのも、やってるらしい(笑)。


徹底して合理性を追求されることの息苦しさ、というか、つまらなさや不自由さ、逆に言うと、不合理なところから生まれる自由さやおもしろさ、というのはわかる気がする。


私もせっかく、合理性が求められる「組織」から抜け出したのに、会社にいたときよりも合理性を追求したりして、遊び心を忘れていたりね、なんだかつまらない人になってるな、と思うことがたまにあります。「ちょっと意味がわからない人」ぐらいの、いつもおもしろいことを考えられる自由度のある人間でいたいなぁ、と「風とロック」の箭内さんとか電通の澤本さんとかも同じことを最近どっかで書いていたけど、みんな少しそういう世の中に辟易しているのかもしれないね。


ちょっと重いし、分厚いけど、もしお時間があれば読んでみてください。なんなら、貸しますし。


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