これでいいのだ。

gris-bijoux2008-07-09

友人が「親鸞はおもしろい」と言っていたので、歎異抄を読んでみました。


といっても、もちろん原文では読めないので、五木寛之版。


キリスト教に近いと言われているそうですが、確かに中高時代6年間、宗教の授業でどれだけ聖書を読んでもなかなかピンとこなかった原罪とか赦しとか、山上の説教だったかな(「心の貧しい者は幸いである」というやつ)も、あー、もしかしてこういうことを言っていたのかなぁ、なるほどね、と腑に落ちました。浄土真宗キリスト教を理解するという(笑)。


親鸞は、戒律は平気で破っちゃうし、妻子も持っちゃうし、自分の力で他人を本当に救うなんてできないよ、浄土を説いていてもはっきりいって正直自分も浄土に行きたいなんて思わないよ、とか、死ぬときのお経とか別にあんまり重要じゃないよ、悟りを開くような厳しい修行とか全然無理!できるはずないじゃん!みたいなこととか、その他いろいろ「えー!?」ってことを言っているんだけど、


それを糸井重里は、ほぼ日の中で



親鸞は、全体的に調子のいいことを言っていて、かっこいいんです。」



と書いていて、


それはいわゆるヘンな宗教的偽善というのか、嘘っぽさ、みたいのがないかっこよさだと思います。キレイ事いっても、だってそれ無理じゃん、嘘じゃん、みたいな。


人間ってものすごく弱くてダメなもの、というところをベースに出発していて、だから、でも人間ってそんなもんだよ、いいよそれで、という肯定というかゆるし、みたいのがなんだか救われるなぁと思います。


話はずれるけど、友達とかでも人に対して、悪口になってしまう人と、愛情を持って茶化したり、ツッこめる人の差って、そこだと思うんだよね。「人間そんなもんだよ」とそもそも思っている人は、辛口であっても、責めないし、人にやさしい気がする。それを笑いにしたりするのが、落語とかなんじゃないかなぁ。


なんかゆるいかんじで、調子がいい雰囲気だけど、でもそこに一切の嘘はなくて、人にやさしい、抜群に頭のいい人、というイメージでした。かっこいいな、親鸞


30分ぐらいで読めます。時間があれば。


写真は、draws.\7350、\8400