店


よくお店を出したことについて「長年の夢がかなって良かったですね」と言われるのですが、実をいうとあんまり“夢だった”というかんじのニュアンスでもない気がします。


会社をとりあえず辞めて一瞬就職活動もしたのですが、
どうもまた会社勤めをするということがピンとこなくて(どうにもやる気がしなくて)、自分のやる気が出そうなものを素直に追求していったら「店」だった、というかんじが近いです。


今日前の会社の同僚が「前の会社じゃ、なんかいっつもよくわからない不満言ってたよね(笑)」と言っていましたが、確かにそういわれれば言っていた気が。
前の会社も学生時代にはとても行きたい業界で、一生懸命入った会社だったのですが、なんかいっつも不足感というか満たされないものというか、なんかぴったりこないかんじがありました。それは何かはっきりした原因があるかといえば、全然なくて、周りも楽しくていい人ばっかりだし、自分でもなんだかよくわかんないけど、「なんか他にあるんじゃないか?」といった飢餓感みたいのがあったような(←漠然)・・・。でも、振り返ると学生時代からいっつも「もっと、もっと他に何かあるのでは!?」といった今流行の“自分探し”みたいな状態で、それはついこの間までずっとそういう心理状態だったように思います。振り返れば、なんですけどね。


でも、今ウソみたいにすっきりしました。落ち着きました。満たされました。
というか、ものすごい自分で腑に落ちるというか、納得したんだろうな、と思います。自分でもこんなに精神状態になるとは思わなかったなぁ・・・。“自分探し”みたいなことはきりがなくて、今ある環境の中でどう自分を満たしていくかが重要だ、みたいなことをよくエッセイとかで見かけますが、それはウソだな、と今思う。到達点はあると思う。「なんか違う」という違和感を覚えたら、そこには確かに原因があって、いくらそれを「いい会社だから」とか「エリートな相手だから」とか見栄えとかお金とかその他もろもろの理由で自分をごまかして状況を正当化しても、それは実際のところ「なんか違う」んだと思う。で、そのままずっと自分をごまかし続けると、いっつも自分のどこかが満たされない。本人は不幸せなんだけど、他人からは幸せそうにみえるから、その視線で自分をごまかしたりして。正直に手放して、次を追求した方が精神衛生的にずっといい。


自分の中で心の底から納得できるということは、なんでもすごく幸せなことなんだ、ととても今回よくわかりました。言い訳ではなくてごまかさずに、自分の欲求というか自分の奥の部分を正直に納得させる作業というのがすごい大切だと思う。なので、私の店がもしすぐ潰れてしまったとしても、もう私は納得したし、今までのような漠然と何かを探すようなことはないと思う。たぶん。