体力の話。
今日久々の超ピーク時のラッシュに乗車。いやー、もう無理。店着いた時点で、ぐったり。なんだかもう世間のペースに乗れない自分がおります。世の働きマン達に敬服。
話は少し変わって。
「女の子が働くなら、業界3位の会社がいい」とか、齋藤薫(美容ジャーナリスト)のエッセイって、目の付けどころが変わってたり、その理屈があー、そうかも、と思うものが多くて結構好きなんですが、この前書いてたものは、だいたいこういう話。
それは“人間臭い”から。輝かしいキャリアの裏にがむしゃらな努力をしてきた人たちであることを感じさせるし、だからといって女を捨てているわけでもなく、とはいえ、そのプライベートもなんか“ズッコケ”感があるし―。選挙のときの、履き潰された何足ものスニーカーが結局、彼女たちを一番表しているものであったのではないか。
“頑張っている人”には絶対に敵わない。
仕事もできて、女も捨てない、そういう頑張る女が今の時代“票がとれる”女なのだ。
そして、それには何よりどんなに忙しくて、ヘトヘトでも頑張れる、おしゃれもできる、人に微笑むことができる、そのための体力が必要なのだ。
女も今結局は、体力勝負の時代なのだ。
・・・ものすっごいよくわかります。最後に踏ん張れる精神力があるかどうか、私生活も含めて忙しくても手を抜かないでいられるかどうか、とか全て結局体力なんだよね。会社員のときは、本当にこの“体力”の壁を痛切に感じました。
なぜこの話かというと、昨日、今日と続けざまに男の人から聞いた意見。
ある人は“線が細い”女性だから、という理由で結婚を断ったらしい。
「会社を辞めたり、病気をしたり、この先自分に何かがあったときにいろんな意味で持ちこたえられない女性だと思ったから」
そして、もう一人も自分が安定的な仕事とは言えないから、なかなか女の人のことを考えると結婚ができない、と言っていました。
男の人も独立したり、ベンチャーっぽい会社に転職したり、必ずしも安定しているとは言えない男の人が増えていく中で、求められる女の人も、もしかしたら段々と、そういう状況でも頑張れる、受け止められる度量のあるたくましさを兼ね備えた女性になっていくのかもしれません。で、結局もそれも体力に帰結していくように私は思う。
私も冒頭のような発言をしている場合ではありません。体力づくりは今さらながら課題です。