「単純に、バカみたいに」

gris-bijoux2006-08-03

女性の晩婚化や少子化について語られるとき、どうも私はピンとこない。


例えば、少子化対策として経済的な援助みたいな話がよくあるけど、(もちろん経済的な問題の人たちもたくさんいるとは思うけど)少なくとも私の周りの女性たちは、日本でもおそらくトップクラスのお給料をもらっているであろう夫やきちんとした実家がある人たちも多く、そういう人たちにとってあまりそういうことは根本的な解決にはならないように思う。




日本では、何か重いものがべったりと空気の中にある感じがする。」




「特に、おじさんと若い女性にその重みはのしかかってきていると思う。」と、吉本ばななのエッセイは続くのだが、これがすべての正解な気がした。
「(省略)ほんわかとはしていないせちがらい中で、部屋もきれいで、自分も年齢を超えてきれいで、情報には敏感で、お金も稼いで、過去の価値観からは離れ、でも親とも円満に、男にもかしずき、子も産んで・・・そんなことを要求されているのが、今の若い女性だ。」



どう考えても無理だろうと思う。」



そう、無理なんだよ。
無理なんだけど、私たちはどうしてもそれをやろうとして、そこを満たそうとするから逆になかなか結婚できなかったり、子どもが産めなかったりするんだと思う。




「みんな、どうしてしまったんだ、そんなにすごくならなくてもいいじゃないか、と思う。」と、男性や、大人たちや、マスコミや、世の中全般がそう女性たちの背中をなでてくれたら、私たちはもしかしたら、もっと結婚も出産もするんじゃなかろうか。


「今日見たもののことを考えたり、しゃべったりしながら、普通に友達とか家族とかと過ごそう。仕事はそこそこできて、失敗もして、たまには達成もして、それを自分の小さな誇りにしよう。見たくないものやしたくないことのために使う時間を減らそう。ただ漫然と生きているだけの時間を減らそう。でもしゃかりきに何ものかになろうとしたり、自分から発信なんかしなくていい、そんな疲れることはやめよう。ペースを落として、ひとつひとつの行動を寝る前に振り返ろう。一日健康でいられたことに、平和に、家族が生きていたことに普通に感謝しよう。」


それで、もう、充分幸せじゃん。そういうことが幸せなんじゃん。って、思えたら、ずいぶん私たちは肩の力が抜けるんじゃないか。



例えばテレビで成功者たちの話が流れると、あー、私ももう少しがんばらなきゃ、とか、店をやっていると“ここで、もう一踏ん張りアクセル踏めば、大きくなるだろうな”とかそういうポイントがあったりして、そのたび「いや、待てよ。」といつも悩む。
一度走り出してしまうと、加速度的に忙しくなって、でもなんか私がしたいの、そういうことじゃないじゃん、って我に返るわけです。
「忙しくいらいらして働いて」「人生を捨てた形でいつも自分では何かが足りない、劣っていると思いながら」過ごすのは嫌だったから、店を始めたわけで、そこにまた戻るんじゃん、と。


近くのお店の人やご近所の人と交流があって、お客さんや友達がふらりと遊びに来てくれて、一つ一つ愛情を持って作っているデザイナーさんたちのアクセサリーがうちの店を通じて誰かの手に渡り、その人がなんか楽しい気分になったら、それだけで充分ではないか。


私の周りにも、傍からみたら充分満ち足りているだろう、と思うのに、「いや、まだ足りない。」とがんばって何かを探してしまう人がものすごく多い。


「個人の力はすごく大きい」もので、別に何かすごいことをしなくたって、その個人が存在しているだけでまわりには必ず影響していて「個人はとても大きな力で、日常や、周囲を照らす」というそのことで充分満足できることなんだということを気付くと、私たちはがんばらなくても、もう少し満たされるように思うし、その余裕が結婚や出産に向くのだと思うのだけど。


うーん。上手く書けないな。でも、“いいよ、もう、女の子たち、そんなにがんばんなくて。”という感じがすごくピンときたエッセイだったんですよね。
公的な援助とかそういうことより、そういう時代の空気や声が、女の子たちを楽にさせるし、結婚してもいいかな、子ども産んでもいいかな、という気にさせるんじゃないかなぁ。



写真は、DAVIDのネックレス。¥15750.