カポーティのみた“美しい国”。

gris-bijoux2007-09-03

昔、ディスプレイの講習というのを受けたことがあるんですが、


商品を配置するときは、基本的に「奇数」が基本なんだそうです。


日本人は“3本”とか、“5個”とか、その方が美しい、と感じるらしい。
一方、欧米の人たちは「偶数」じゃないと気持ち悪くて、奇数の配置だと、むしろこれ、足りないんじゃないの?と思うそうです。



カポーティはこの日本人の感覚を、


「視覚音楽家とでも言うか、日本人は形と色に完璧な音感をもっているようである」


と記しています。


実際、カラーコーディネイトの勉強している人から聞いたところによると、着物の色の配色なんて、西洋の色の理論からすると全く説明がつかないそうですが、それでもあれだけ帯から襟からいろんな色を多用して成立させてるなんて、驚異の感覚らしい。



カポーティの最初の美的体験は、小さい頃近くに住んでいたある日本人の花屋が作る精妙なおもちゃや、花の生け方であり、それが自分の鑑賞眼の基準を定めてくれた、と書いていますが、大きくなって紫式部清少納言を読んだり、歌舞伎、『羅生門』『地獄門』『雨月物語』という映画に触れることで、それがその花屋だけの才能ではなく、国民全体の感受性の延長線上にあることがわかってきた、と続けています。


「日本人の文体感は長い美しい美的思想の集積である。(中略)この思想の基底にあるのは恐れ −明晰なるもの、露骨なるものへの恐れ− である、そこから、一枚の草の葉が夏の全宇宙を描出し、かすかに伏せられた目がもっとも深い感情を暗示することになる。」


奇数の配置がいい、というのも、それはその明確ではないかんじ、不安定なかんじを美しいと思う無意識の感覚なんだろうね。


ページ3枚ぐらいの文章なんだけど、結論としては、脈々とその歴史の中で集積されてきた、詩的なコミュニケーションが成立するその感受性というのが、日本の美しさなのだ、ということだと思う。(「文体感」って原文はどういう単語使っているのかなぁ。たぶん“トーン&マナー”みたいなニュアンスだと思うんだけど。)


・・・なんかたいそうな話になりましたが、今フランツの展示販売方法をマニュアル化しようと思って考えているんですが、フランツってそういう意味じゃ「明晰」かつ「露骨」なデザインなので(笑)、並べ方が難しい訳です。シリーズの配置を間違えると、すぐごちゃごちゃしますから。日本人の感覚に合うように並べる、って感覚だからねぇ・・・。文章化ってどうすればいいんだろう。うーん。


写真はALEX MONLOE.\18900