勝者不在。
帰国後何日か時差ボケで眠れなかったので、絵本(←複雑なのは余計眠れなくなるから)を夜な夜な読んでました。
どちらかというと今の世の中、
たまには立ち止まってみることも大切さ〜 気付かなかったことに気づけるはず〜
といったかんじのスローライフ的な生き方を提唱されがちですが、
片や一方で、
「動いているものは動いている者にしかみえない」
という真理が存在している訳です。
佐藤雅彦の絵本だったんだけど、その例をひっぱると、普通に外から新幹線を眺めていると中の乗客を見ることはできないが、新幹線の進行方向に素早く首を振ると、一瞬中の様子が外からでも見える、つまり同じスピードで走ればそれは捉えることができるという物理的法則(?)です。「世の中のヴィヴィッドな動きを知りたいと思ったら、自分がヴィヴィッドに動いていないとそれは捉えられない」ということなんですが、
私個人としては、のん気に歩いていきたいタイプなので、そんなこと言われても俊敏に動けません、というかんじではありますが、大事なことは
「自分には見えていないものがある」
ということを理解していることではないでしょうか。
早く動きすぎているときも、ゆっくりなときも、見えているものと見えていないものがそれぞれにある、ということです。
周りの女の子たちもそれぞれいろんな生き方をしていて、どういう道を選んでいてもみんななんとなくそのことは知っていて、だからバリバリ仕事をしていても、子供を産んで育てていても、大企業で働いていても、小さい規模で働いていてもみんな私の周りの女の子たちはどこか謙虚な感じがするように思います。
勝ち組とか負け組とか言われた時期を経て、結局最近の風潮は「このご時世に生きる女性において、結局どこにも勝ち組は存在しない。」(価値がループしている)みたいな結論に落ち着き始めたように思いますが、なんだかそれでいいような気がします。必ず何かが欠けている、欠けてしまうというのは仕方のないことで、その諦観をみんなが持っていることは、女の子どうしをやさしくするというか、多少生きやすくしてくれるように思います。
・・・と、最近女子たちと飲んでて思います。どうだろう。