インテリ男がつまらない理由

たまたま塩野七生のエッセイを読んでいた時に、GQの特集で箭内道彦が同じようなことを「新“紳士”論」として書いていたので面白く読みました。


塩野七生は、インテリ男がつまらない理由、といったことを書いていたのだけれども、彼女曰く、


この種の男たちは、いかに書きまくろうがしゃべりまくろうが、自分自身の考えていることを述べるよりも、「解説」することに熱心


であり、というのも、


修羅場をくぐっていない弱み」が彼らにはあり、「常に頭の中でだけ処理することに慣れたインテリは、体験をもとにした考えを突きつけられると、意外と簡単にボロを出してしまう。修羅場をくぐった体験をもつ物は、背水の陣でのぞむ苦しさも、また快感も知っている。そして、必殺の剣とは、いつ、どこで、どのように振るうものかも知っている


だから、修羅場をくぐった人間の書き文字や話し言葉のような迫力や相手の胸に訴えかけてくるものがない=魅力がない、という風に書いていて、別のところでは、インテリ男の特徴は


人を殺した経験をもたない


と言い換えています。「精神的に殺すことも、人を殺した経験に立派に入る。なにかを為そうとこころざした者は、それを表現する段階で、この種の「殺人行為」をしないではすまない。」インテリ男がセクシーでないのは、毒にも薬にもならないからである―


という、ローマ人を研究している人っぽい意見ですが、


一方、箭内道彦は「今どきの紳士って?」という質問に対し、


「“紳士ですね”なんて言われてもイマイチ嬉しくない。紳士=つっこみが甘いとかひ弱とか、弱さや足りなさを指摘されているように感じる。」


「“私は紳士なので、そっちの小さいほうのステーキでいいです”ではダメ。禁欲的な紳士であろうとすれば、今の時代餓死してしまう。もっとハングリーにならなくては!かつての紳士は、潤沢な資産のあるいい家柄に生まれ、余裕を品よくたしなんでいたと思います。でも今は、余裕があることが魅力かというとちょっと違う気がします。必死さが面白かったり、強さだったり。“地位や家柄があるのに必死”が21世紀型紳士だと思います。自身の美学をしっかり持っていて、それを必死に実現させているような方々です。昔の男の美学に、「男は黙って〜」というのがありましたけど、今は有言実行のほうがいい。黙ってる男は、大抵何も考えてない(笑)。目標を発表するのって、リスクがあります。でも紳士はリスクヘッジを考えすぎない。高い目標を掲げるS体質、それに向かって努力するM体質。SM両方を兼ね備える人がカッコいい紳士だと思います。」


“おさまっちゃっている”感じ、というのはいまどき人間的魅力がない、という肉食系の時代なんでしょうかね。
この前、セクスィー部長の最終回でセクスィー常務が初登場しましたが、最後立ち去るときに相手に渡す(?)ワッペンにはこうありました



「セクスィーとは生き方である」



結局、がんばっている人にはかなわないし、本当にがんばっている人には余裕なんてあるわけなくて、この現実の中で必死に生きていく過程での修羅場や経験値から立ち上がってくる人間的な魅力、その生きる姿勢が人を惹き付ける、ということでしょうか。残酷さと優しさが入り混じった感じというか。


・・・でも、女子の場合はどうなんでしょうね?ぜひ探っていきたいところであります。


写真は、Murder Pollen \5500(←完売御礼