ポトスライムの舟
映画とか本とか、そのときの自分の気分や置かれている状況で全く違う受け取り方をするものだと思うので、絶対的な評価というのはないとは思うのだけど、今の私にはまったく読後感がなくて、電車の中で読み終わった瞬間、若干うろたえ気味。
今のリアル、みたいなことを書評で書かれていたりするけど、そうかなぁ。
なにか決定的にリアリティが欠けているような気がしたのは私だけでしょうか。
たぶんそれは、ギリギリの生活をしている設定の中で、
切実なんだか、切実じゃないんだかわからない、何かどこかがすごくフワフワしているかんじ
が、あたかも“不思議ちゃん”の話をされているようで、例えば、突然に刺青をしたくなったり、突然世界一周旅行に行ってみたくなったり、唐突すぎて、もっとどうあれみんなちゃんと現実的にもう少しザラッとした触感のある生活を送っているし、普通に現実と折り合いつけてみんながんばってるよ、という気がしたかなぁ。
主人公とほぼ同じぐらいの年齢で、同じく決して安定的とは言えない仕事だし、
小さな世界で、自分なりの希望を見つけて一生懸命に生きる
みたいな生活を私も地でいっているのでそういう価値観は理解するのだけれども、それでも
小さな世界を掬い上げて、それを大事に大事に宝物のようにフォーカスする
ということを必要以上に称賛するようなものが最近ずいぶん増えてきてしまって、そういうものを表現されることにもう飽きてしまってきたかなぁという気がします。
小さな世界を丹念に描いていっては、小さな幸せを探して探して、そうして“あぁ、幸せだなぁ”と言っているだけでは、なんだか世界はどんどん小さく、ミクロな世界に入っていくだけで広がっていかないような、というか。
代官山の店という小さい世界で生きている私は自戒をこめて、特に最近そういうことを思います。
写真は、ダチョウのピン。男性にもどうぞ。\9450