つかの間の娯楽

スラムドッグ$ミリオネア


元気になった、という人もいれば、


Nスペ(NHKスペシャル)を観たような後味、という人もいて、


さらには、


「いや〜懐かしかったよ、ムンバイ。駅のかんじとかスラムのかんじとか、ホントあのまんま。(遠い目)」


と、ムンバイに一人で赴きダイヤモンドのバイヤーをやっていた、というブラッドダイヤモンド的要素まで加わったディープな友人(女子。ついでに現地のストリートチルドレンのモノマネまでやってくれた。)は、郷愁を覚えたり、と、


映画というのは、ホント人それぞれのものだなぁ、と思うのですが、


私はどうだったかというと、


昔も書いたけど、中国の工場地帯に行ったときの、


苛酷さと明るさが混沌と存在していて、そこには私たちが思うステレオタイプな途上国の“不幸”“悲惨”というイメージのものとはまた違う別種のエネルギーがあって、あのかんじはどうにも表現し得ない、と思ったときを思い出しました。


あのときに感じた、“幸”“不幸”“明”“暗”の要素が淡々と同じ次元と配分で並列に存在していて、それでもトータル“たくましさ”と“明るさ”のエネルギーが少し勝つようなあのなんとも言えないかんじの印象は、またああいう場所にいかなければ感じないだろうな、と思っていたけど、単純なストーリーながらなんとなく観終わった後にそれが残るのがすごいかも!?(ま、インド行ったことないから中国のそれと同じなのかはわからないんだけどね。)



でも、それにしても「グラン・トリノ」だよ。


観終わった後の余韻が深すぎて、というか多元的過ぎて、もはや何かを語ろうものなら安っぽくなりそうなので、逆に言葉少なになるかんじ。



「観終わった後に、風が吹き抜けるような気分になる映画だった」



と言っていた人の感想が最も言い得ていて、それ以上はあまり分解せずに自分のこの気持ちをそっとしておきたい、というかんじです。むしろ。


とはいえ、Kちゃんなんかは「グラン・トリノを観終わった後、4時間も語り合ってしまった」と書いていたけれど、久々にほぼ会う人会う人がみんな観ている、という映画二本でした。今どきいろんな人と経験を共有できるものって映画ぐらいかもね。・・・そして、忙しい社会人といえども、映画ぐらいはどうにか時間を捻出できる現代人の慰みであるとも言えます。フッ。。。


ちなみに、映画を観にいく時間はあっても、ネイルに行く時間がなく、現在爪ボロボロです。あぁ、もう。カラーリングにも行きたいし。


6月の1週目で一度いったんリセットして、生活立て直したいよ(風が吹き抜けたのも一瞬、どんより)。