我思う。

cogitoさんの鹿のピアスです。




\14700


cogitoと言えば、コギト・エルゴ・スム(我思う。故に我あり)。


デカルトです。


ちなみに、「人間は考える葦である」はパスカルです。


いづれにせよ(浅い知識で言ってるのでわかんないけど)、とにかく人間っていうのは考えることが大事だ、っていうか、それが人間だってことです(たぶん)。




ちょっと前ですが、深夜の教育テレビでモダンスイマーズの「夜光ホテル」をやっていて、萩原聖人が主演だったんだけど、意外に面白かったんだよねー。


―ホテルの一室に男たちが集まってくる。実は彼らは中学時代の仲間だったんだけど、いわゆるヤクザな世界にそこから足を踏み入れてしまったことで、未だに大人になった今でも世の中の底辺で生きている(クスリ漬けの廃人だったり、ヤクザの使い走りだったり)。そのやり取りの密室劇なんだけど、


この劇のクライマックスは、ずーっと劇中でパスカルのパンセを読み続けている萩原聖人が最後「なんで俺たちはこんなことになっているのか。それは昔から今に至るまで、“考えて生きる”ということをしてこなかったからだ。」と言って、今までの生き方と決別をするシーンなんだけど、


それぞれの人生がすごく重くてうまく人生がまわっていないんだけど、でもそれは全て「きちんと考える」ということをしないでずーっと流されて生きてきてしまったからなんだ、っていうのが、ものすごくそのストーリーの中で説得力があったんだよね。


なんとなーくでぼんやりあいまいにやり過ごしていると、時間はあっという間で、ちゃんと考えて物事に向き合わないと人生というのは、少しずつ何か違う方向にいってしまうのかもしれません。


年末のこの時期、忙殺されたこの1年を振り返り、ほんとこのテーマは身に沁みます。


・・・来年はどういう年にしようかな。


今年は不本意ながらハイヒールダッシュだったので、来年はもうヒールは脱いで、自分のペースで歩いて行ける年にしたいなぁ。ほんとに。