大人の流儀



お互い、大変な時代に、大人、やっちゃってますね。



http://www.suntory.co.jp/softdrink/boss/ryugi/


BOSSの新商品のグラフィックが、なんか疲れたコピーだなー、と思ってちょっと笑ったんだけど、


以前ある人が、エリック・クラプトンの曲が流れてきたときに、


「“良いロックかどうかを判断するのは、そこに“疲れ”があるかどうかだ”っていう名言があって、そういう意味じゃこの時期のクラプトンは全然ダメ!!(←疲れてないから)」


と、“ザ・俺のロック論”を披露してくださったものの、音楽のわからない私としては、へぇ、そうなんですか、ぐらいのリアクションしか返せずさぞかし物足りなかっただろうと思うのですが、ただ、



“疲れ”がある方が、人に届く



というか、そういうものを良しとする、というのが、なるほど、そういうことはあるかもね、と面白く思った記憶があります。


“前向き”“ポジティブ”“明るく”“元気”みたいなものだけで推し進められると、実はそれを受ける相手はそれこそすごい疲れちゃう、というのはあると思います。そうですか、それはよかったですね、的ななにか一方的なかんじがしちゃうのかなぁ?特に今の時代だと、そう単純なことでもないだろう、みたいな空気だしね。。


昔、柴門ふみがエッセイの中で、自分がウディ・アレンがなぜ好きか、それは


「デキる男のサービスとしてのカッコ悪さ」


というものを良く分かっているからだと書いていたけれども、要は、才気走っていたりするものや完璧すぎるものは、実はすごく人にやさしくなくて、デキる人であればあるほど、バランスとして“あえて”かっこ悪い自分を周りへのサービスとして提供するものだ、という話なんだけど、


コミュニケーションって、ただただ「正」「強」だけではダメで、「負」や「弱」があるから共感もするし、やさしかったり、届いたりするものなのかもしれなくて、


まさに、それこそが「大人の流儀」なのかもね。


もちろんダウナー過ぎてもダメだし、その塩梅なんだと思うけど。


・・・ってなことを、中吊り広告みて考えてましたが、それにしてもいつから北大路欣也って、シリアスとギャグの微妙な中間点を浮遊している人になったんですかね。最近「この欣也はどの立ち位置で観たらいいんだろう?」と悩むよ。


写真は、TOM SHOTのブローチ。¥12600.これからのシーズン、ちょっとショールを留めたりするのにもいいかも。


http://www.gris.bz/shopping/index.html