孤独とメディア



妹が秋葉原の無差別殺人事件の裁判の傍聴をしてきた日に、


「うーん。・・・なんかわかんないけど、誰か一人でもあの人に“ぼくはきみの友達だよ”と言ってあげたら、あの人、事件起こさなかったかもね。」


と感想を述べていたのが印象的だったのだけど、



また、話は変わって、大昔のCMですが、当時バブルで世の中が浮かれまくっていた時代、フジテレビが、あまりにも軟派なイメージに振り切りすぎたため、もう少しニュートラルに戻したい、という意向を電通が受け、当時の担当クリエイターが、


「そもそも、テレビとは一体何か?」


という自問自答の末、導き出した答えは、



「テレビとは、孤独に寄り添うもの」



というものでした。


そのクリエイターが学生時代、まわりの友人たちは遊びまくっている中、自分で生活費を稼ぐために朝から晩まで働いて、誰もいない暗い家に戻ったとき、テレビの中でなにやら楽しそうな時間が流れていて、なんとなくそこにつながっているような気がしたその時間がどれだけ孤独を安らげてくれたか、昔のように大家族でテレビを観ていた時代とは違い、今テレビとはそれぞれの人生や気持ちに寄り添っているものだ


というところから、「フジテレビがいるよ」という当時賞を総なめにした一連のキャンペーン(国生さゆり岸部一徳が、ふと孤独感を感じた瞬間に“フジテレビがいるよ”という声がどこからか聞こえて、振り返るというCM)があったんだけど、


twitterってあー、たぶんそういうもんなんだなぁ、と思ったもんで(すいません、話長くて)。


何が面白いのかいまいちわからなかったんだけど、誰が何考えてるか知りたいとか、情報収集的なことよりも“なんかつながってる感”みたいのがいいんだね。
あぁ、私が今仕事でたいへんだった瞬間に、同じ時間にあの人は布団干してて、あの人はカレーのご飯炊いてて、あの人は昼寝をしていたのか、・・・ま、私もたいしたことじゃないか(笑)みたいな気分になるよね、あれ(笑)。自分が相対化されるというか。


それぞれが同じ時間を別の場所で共有していて、あぁ、みんな各々同じ一つ空の下でいろいろ生活送ってるんだなぁ、みたいなぼんやりしたつながり感なんだけど、でも、結局は当時のフジテレビのキャンペーンじゃないけど、あれから十数年、もっと“各々の人生や生活に寄り添い、孤独に寄り添うもの”としてのメディアをみんな探し続けていて、進化していったものがtwitterなのかなぁ。始めて一週間ぐらいの感想。よく言われてる話なのかもしれないけど。


だいたい何かを誰かと共有したいなんて、“ビジネス利用”みたいなことで徹している人もいるだろうけど、基本寂しがり屋な気分がどこかにないとめんどくさいよ、たぶん(笑)。


みんなたいていの人は寂しがりってことで。結。


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写真はnikki-b。¥10500.やっぱりブレスはゴムがいい!時間の無い朝は特に!!