木の実のペンダント

広末涼子が戻ってきましたね。久々だなぁと思ってチャンネルを留めたら、LEPさんの木の実のペンダントをしていました。パールのチョーカー風のネックレスと重ね付けしてて、かわいかったです。ペンダントが。


と、つい、いじわるっぽく書いてしまいましたけど、せっかくのブランクを全く生かしていないんだもん。広末涼子。私がマネージャーとか事務所だったら、もう少し方向性を考えてあげるなぁ。だって、他の人が歌っているVTRの間とか、首を振って(うなずきながら)リズムを取る、とか、「今が生きていて一番幸せです!」と言うのなら、戻ってこなくてもいいのにな、とか、嘘っぽい優等生キャラが相変わらずだったから、このキャラのままでは30代をどうにも迎えられないのではないか、と事務所だったら真剣に戦略的に考えるのではなかろうか、と思った次第。


と言うのも、先日飲んだ友人が「さすがにもう私たちも、30を目の前にして何でもきれいごとじゃないというか、モノの見方が辛くなるよね。別にいじわるとかじゃなくてさ。」と言っていましたが、そういう人たちには特に、ああいう嘘っぽさはどうにも通じないと思う。


「嘘っぽい」というのもいろいろあると思うのだけど、私がいつもそれを感じるのは「妙に自己肯定な人」。「えー、でも私はこれで幸せだからぁ。」とか「私はこれでいいのー。」というかんじ?例えばですけど。いや、そうだろうし、いいんだけど、私はつい、果たしてそんな100%OK!みたいなことがあるのか?と思ってしまうのです。どんなことにもいろんな側面があって、そんな単純な話ではないというか、何かを妥協しているだろう場合は特に、それを自分も他人もひっくるめて納得させようというそのセリフを「嘘っぽい」と思ってしまうのかな。うまく自分でも伝えられませんが。


で、長いんですけど、本題はここからで、昨日高校以来の友人と食事をしました。
その彼女は、外資の証券会社を辞め、専業主婦をやっています。お子さんはまだいません。
そもそも私の周りは結婚している人間が少ないこともあるのですが、いわゆる「専業主婦」というのが実は一人もいません。子供産んでも復帰する人ばかりだし。だから、私は友人として初めての専業主婦というものと話をしたわけです。


昔っから優秀で、本来ヒルズの最上階で働いているような彼女が、ただお家にいるのは少しだけもったいなくない??と思ったわけですが、彼女は「全てを欲しがって、全てを手に入れることはできない。自分が社会に評価されるのではなく、夫をアシストして、夫が社会で評価されることが私の幸せである、という幸福や生き方を選択した。」とスッパリ言い切りました。


なんでこんな長々書いているかというと、なんか私にとっては衝撃的だったんですよねぇ・・。
私のまわりはほぼ全員「全てを欲しがって、全てを手に入れようとして、自分の生き方を応援してくれる(どちらかというと自分をアシストしてくれる)夫を選択した、もしくはしたい(=婚期が遅れる)」というタイプ。私は全部欲しがることはとても正直だと思う。だから、そうじゃないタイプを見るとそこに嘘っぽさを感じてしまったりすることもあるのだけど、彼女のように幸せという漠然としたものの余計な部分はそぎ落とし、大事なコアな部分だけを丁寧に生きる、というとても強固な意志があって選択した専業主婦という幸せは、私たちよりずっと先をいっているのではないか、大人なのではないか、とふと感じたんですよね。たぶん。
なんとなくそうなっている状態を肯定するのではなく、プラスもマイナスもわかって悩んだ末に自分の生き方はこれだ!と納得して思っている人は、「私はこれでいいの。」と同じセリフを言ってもぜんぜん嘘っぽくないんですよね。なんで伝わるんだろう。不思議。