ももちゃん。

gris-bijoux2005-10-12

先日亡くなった中学高校時代の友人のお母様が、新聞を読んでくださりわざわざお店に足を運んでくれた。


その友人はとても紅茶が好きで、お母様は今も彼女の部屋に紅茶を運んでいらっしゃるそうだ。


彼女用のティーカップを探していたの、とFRANZの、ピンクのユリを模った小ぶりのカップを買っていってくれた。


毎日彼女の前に置かれるカップを思うと、なんとなく彼女とつながりがまだあるようで、複雑だけど、少し嬉しく思う。


まだ、少し気を緩めたら涙が溢れてしまうのだろう、というお母様の様子がとても伝わってきて、どんな慰めの言葉を選んでいいのかわからなかった。というか、いつもわからない。上っ面で、空しく響くから。


私はベタな、わかったような言葉をかける人を見ると、ある種尊敬すると同時に鳥肌が立つ。自分の立場で悲しみを共有することは出来ても、絶対にその人の深い悲しみまではたどり着けないのに、「わかりますよ」みたいな言葉ってすごいウソっぽくて、嫌だ。でも、どんな言葉でも限界があるのなら、沈黙よりはベタな慰めの方が悲しむ人を救うのだろうか。いつもジレンマに陥る。


明日は事故に遭った同期の誕生日。もう5年近く経つ。


忘れていないよ、ずっと憶えているよ、と伝えることが本人や家族の気持ちを少しでも和らげるだろうか。久しぶりに手紙を書こう、と思う。