ベタについての反省
先日のテレビの話。
爆笑問題がホストの“日本の民俗学”をテーマにした2時間番組。
民放の割りにちょっと文化的な香りがして、もの珍しさにチャンネルを合わせてみましたよ。ところどころに入る日本全国“とんまつり(by みうらじゅん)”映像に釘付けですが、そんなことよりなにより注目すべきは、美輪明宏の衝撃発言の数々。
「私、神様みたことあるんですよ。」
えーーーーー!??????????????って、思うでしょ!?
でも、「へーっ。」ってスルー。
「死後の世界があるかないかって、私見てきてますから、あります(断定)。」
でも、
「そうですか、じゃ、次の方。」
って、またしてもスルー。
えーーーーーー!?????ここ掘らなくて、どこ掘るのーーー?????聞きたいじゃんか!!!!
結局番組の結論は「一神教を背景とした善悪二元論の西洋社会に対し、古来からの多神教がベースにあり、様々な価値観を受け入れる日本人的共生の感性にこそ今後の世界の突破口がある」みたいなベタな落ちに。もう一緒に見ていた家族一同「この2時間を返してくれっ!」のブーイング。それなら、美輪明宏発言にひたすらフォーカス当てた方が俄然おもしろかったのに・・・。
で、昨日に引き続き思うことは「ベタ」って痛い、ってときが多々ある、ということ。
でも、「ベタ」やってる本人は往々にして気づかない(もちろん、私もね)。
上野千鶴子が「オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない」と言っていて、「「すでに知られていること」が何かを知ること。それと自分の考えていることがどう違うかを分析する能力を持つこと。「異見」はそのようにして創られる。」ということなんですけど、たぶん「ベタ」の痛さって、「知らない」ことの痛さな気もする。周知の事実であることを知らずにオリジナルぶってなぞってる痛さ、みたいなかんじでしょうか。
まわりを寒い状況に陥れないように、勉強しとかないといかんなぁとちょっと思ってみた次第。以上!