昨日の続き。

シンディ・シャーマン

昨日、隣の蟻月オープンを待ちきれず、中目黒の「鳥小屋」にてモツ鍋。
博多出身者も絶賛。明太子入卵焼きも良し。


って、グルメ日記の様相になっていますが、
なんか昨日の日記、自分で書いたのに嫌だなぁ。自分でもよくわからないけど。腑に落ちず。うーん・・・。


わからないので、ちょっと別の角度から。


Cindy Sherman / Untitled Film Stills


いつか、どこかの映画で観たようなショット。既視感を憶える、しかしあくまで架空の設定の中で典型的な女性たちを次々に演じる、シャーマンのセルフポートレート


70年代後半のシャーマンの初期作品シリーズですが、いろいろ解釈のあるものの、私は“(主にメディアによって作られた)イメージの中で生きている私たちのアイデンティティのあり方”への批評、みたいな解釈が好みです。


要は、自分を認識するイメージって、実は特定はできないけど、メディアによって作られたイメージ要素で形成されていたりして、そういうものに左右されて生きているんじゃん?みたいなかんじ。
「○○風な俺」「△△なかんじな私」とか。でも自分たちはそれがオリジナルだと思いこんでいたり。ベタ、ともいうのかも。オリジナルなきコピー。


前の仕事の選び方とかって、そういうところあったなぁ、と自分で思います。
そもそも広告好きだったけど、でも、なんかそれとは別に“マスコミ系職業”みたいなイメージで選らんで、そしてその中で生きていたところがあったかも。あー、嫌だ。


そういうところで喜びを見出すのは嫌だなぁ。ナルシスティックで。
もっと本質的でありたいと思います。