塞翁が馬。

gris-bijoux2005-11-29

昨日読んでいた本に、「悲劇のあるところには、必ず人間の良いところと悪いところがはっきりと現れる。」とあって、思わず傍線引っぱろうかと思いました。引かないけど。


全然悲劇じゃないけど、でも、今回ちょっとした事件があって、でもそんなことより、それに対するまわりの人の反応が温かくて、学ぶことが多くて、トータル自分にとっては良いことだったように思います。


お店、というのは、会社と違って、ビジネスで、というよりもお客さんや近隣の人ともっと人間的なつながりで成り立っていて、そこがとてもおもしろいところで、また同時に“コミュニケーション”というものを根本から日々考えさせられます。


「困っている人が隣にいたら、手を差し伸べる」ということの重要性、というと、とても表現は陳腐だけど、自分がそれを受ける立場になってみるとその有難さがよくわかったし、その、ボランタリー精神というのか、もしかしたら私に欠けていたものかもしれないな、と改めて気づかされました。そして、“そこに存在している”ということは、まわりと一瞬無関係なようであっても、勝手にそこに出現しているわけではなく、周囲があっての存在なんだな、とも気づきました(うまく表現できないなぁ・・・)。


とにかく、今まで挨拶をしたことない方から「お隣さんなんだから、なんかあったらいつでも言ってね。」と言ってもらったり、「いつでも駆けつけるから。」といってくれる友人たちがいたり、『困ったことがあれば、手を貸すから。』といってくれる周りの人たちの中で店を今構えているのだ、と気づいたことで、事件の前よりも私はなんかこの場所に安心して、平和に存在していることができます。


“コミュニケーション”って伝えることなんだ、と今さらながら当たり前のことを思ったり。伝えないと気持ちは通じない、というか、こっちは“たかが言葉”だと思っていても、困っている人にとっては、それでとても救われたり、気持ちが安らいだりするんだなぁ、と。


人の気持ちが本当に嬉しいです。幸せです。