80年代って。
私の世代はちょうど谷間というか、就職難だったりとか時代の流れとしてはあんまりいいことがなかった世代なんだけど、そのせいかどうか、80年代を存分に味わった世代の人たちってどういうわけかおもしろいなぁと思うというか、結構好きです。なんであの世代の人たちは独特な濃さと熱を持ってあんなにあの時代を語るんだろう(笑)。
80年代を検証する流れが最近多いけど、私が読んだのはこれ。
「80年代はスカだった。」と称されがちであることに対し、“ピテカントロプス・エレクトス”という伝説のクラブを一つの切り口として、「いや、80年代の美学=かっこよさ、っていうのがあったんだって!!!マジで!!」ということを宮澤章夫がいろんな方向から語ってます。
また、
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の中で、三浦展は、当時実際にパルコの中で働いていた人間にしてみれば、バブルの時代の象徴として語られるパルコや公園通りはとても違和感があり、実際はそんな明確な戦略性なんて全然なかった、と言っています。
当時パルコに関して指揮をとっていた増田通二に対し、
「この増田は路地の人だ。神楽坂生まれで、街に光と影があることを好む。」「いずれにしても、そこににおったのは金の匂いではない。おそらく増田は、曲がった坂道の上に教会のあるような街を夢想したのだ。宗教学科出身の増田は夢想家でもあった。そして神楽坂のような、坂があり、路地がある、色気のある街を好んだ。渋谷は元々花街だ。そして坂の街でもある。増田の原風景に訴える街だったのだ。」
増田通二がパルコで目指したものは、むしろ60年代的な思想が背景にあり、若者の反抗のエネルギーを組織化する、それがパルコ文化だった。既成の文化、ファッションに従うだけでなく、新しい文化やファッションやライフスタイルをつくり出す、ということであった、とあります。
宮澤章夫も書いていたけど、これはたぶんヒルズのような街を作り出す思想とはちょっと違うんだろうと思う。
そして同じく宮澤章夫のいうところの“批評性”と、儲かる、儲からないとは別の次元の、不合理なものを受け入れる、おもしろがる度量、というのかそういう“文化”があの時代にはあって、語られることはないけど、でもあの時代にはそういう“かっこよさ”=美学があったんだ、ということが共通して書かれているようになんとなく思った。でも、私は肌感覚でこの時代を知らないので、あくまで本を読む限りでは。
で、また話は飛んで、
80年代検証というテーマで(自分の中でね)、「バブルへGO!」を観て参りました。
いやー、おもしろかった(爆笑)。劇団ひとりといい、阿部寛といい、キャスティングも絶妙。
ラスト、どうするんだろう?とか思ったけど、突き抜けていました。素晴らしい(笑)。昔、マーズアタックで、あぁ、なんて徹底してバカな映画なんだ、としみじみ思った、あの動物たちの中でトム・ジョーンズが歌い上げるラストをなぜか思い出した(笑)。でも、もちろんこちらのラストは「君の瞳に恋してる」!!徹底したベタ(笑)。素敵。
エンドロールで、「バブル推進委員会」っていうのが出てくるんだけど、わからないけど、制作がフジテレビ×電通×小学館×ホイチョイ・プロダクションズっていう、超あの時代を満喫したと思われるだろう人たちの掛け合わせでできているこの制作チーム、打ち合わせとか超盛り上がってるんだろうなぁ。「六本木のあそこの看板は○○だった!」とか「スーツのブランドは○○だろ!」とか、ディティールにこだわりまくっているに違いない。観る方がわかろうがわかるまいが、作り手側が細かいところを楽しんで作ってるかんじがものすごい伝わってきた(笑)。で、そのかんじがまた私なんかは、あぁ、あの時代の人たちだなぁ、という気がするのです(笑)。
同時代を生きてあの映画も観た人に言わせると、映画だけではわからないけど、あの時代の遊びにはルールがあったし、こだわりがあって、そういうのを今の若い奴らは知らない、と言っていて、それはやっぱり上記の人たちが書いているものと同じような気がするなぁ。「遊び」の中には「文化」があって、そこには“粋”があったんだということだと思う。そして、なんで私があの時代の人たちを結構好きなのかと言うと、そこの部分なんだろうなぁ、と思うのです。・・・けど、どうだろう?やっぱりその時代を生きていないからわかんないんだけどね。
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