自分のスタイルをこわす。

gris-bijoux2007-04-04

CERASUSの新作入荷です。


こちらは、オススメのフロライトのリング。#9.¥18900(→完売御礼).
シトリンもあります。


どういう基準で商品を選ぶのか、とよく人に聞かれるのですが、簡単に言うと「ほどよさ」です。


どこにでもあるような遊び心のないものはつまらないし、こだわりが強すぎる、個性的すぎるものは、排他的というか、攻撃性を私は感じてしまうので、アクセサリーを着けた人が、遊び心やセンスをほどよく持ちながら、他を受け入れるキャパシティや余裕のあるかんじに見えるようなものを選んでいると思います。


“こだわりがある”っていうのは、スタイルがある、ということでもあるので、とても良いことのように使われますが、場合によってそれは、何かを排除するものだったり、こだわるあまりに固執し柔軟さにかける、ということでもあるかもしれません。今月号のクロワッサンのタイトルは、



「ときには、自分のスタイルをこわす。」



だったんだけど、なんか個人的に刺さりました。


世の中、「自分スタイル」とか「こだわりの○○」とかそんな言葉で溢れかえっていて、もうちょっとそういうのは、みんな正直お腹いっぱいなんじゃないかなぁ。もちろん自分のスタイルや軸はあるべきだけど、でもそれを一旦自分からはずして、他を許容できるぐらいの余裕があった方が、なんか今どきかっこいい気がする。


いや、こだわりは大事なんだけど、こだわりすぎは良くないということか。


個人的に、「そのまんま受け入れてみる」ということをここ最近課題にしています。


自分のこだわりをなくす作業。


こだわりを持つことよりも、はるかに難しい。別に持っているつもりもなかったけど、でも意識的になると、ほんとに私って(どうでもいいようなところに)こだわってんだなぁ、とか思う。「ほどよい」人間になるって、ハードル高いよ。思ったより。