Party Down


いつもおもしろいネタでお誘いしてくれるKちゃんのご人徳により、Guy Larocheのショーを最前列のVIP席で眺められるという恩恵に与る。


アクセサリーもおもしろいけど、迫力とか存在感とかそういうおもしろさは、どうしても洋服にはかなわないかもなぁ。
このまま何時間でも観てられると思ったし、ずっと終わらなきゃいいのに、と思った。やっぱり美しいものの中でただずんでいるというのは幸せな時間だ。


ショーの後は、ラウンジでシャンパン飲みながら、マカロンやらベリーやらいただく。
それにしても、芸能人という人たちはみんなやっぱりきれいだね。感心。


しかし、一般人の私はそんなかんじでついばんでいてもいっこうにお腹は満たされないので、居酒屋へ。
ディープなトークを繰り広げる。



どのステージに立っていようと、それぞれにいろんな問題にぶつかるし、100%満たされるなんて状態なんてないわけで、ここにたどり着けば幸せだ、なんていうことはありえない、だから何事も自分自身に帰結する、という当たり前のことを意識的に知っていることは大事だ。


はかなさ、脆さ、危うさ、悲しみ、葛藤、孤独・・・等々の感情は「弱さ」と否定されがちだけど、「弱さ」は「強さ」の欠如ではなく、その“フラジャイル”な状態になければ気づかない、感じられない、取り出せない何かを見つけるある種の力を持つものなのだ、という本を読んだのを昨日帰りの電車の中で思い出した。


不安定な“フラジャイル”な状態にいないと気づかない、美しい風景や、感謝できる出来事や、人の感情やそういう微細なものって本当にあると思うし、わかんないけど、そうやって見つけ出したものがその人の味になるんだと思う。元気でガンガン進んでいるときって、はっきりいって、無神経なぐらいそういうものに目がいかないもんで、で、そればっかりの人ってあんまり嫌だと思うし(笑)。だから、そういう状態はそういう状態でいいんだと思う。だって、どこのステージに行こうとそういう状態はあるんだもん。“フラジャイル”な状態を肯定的に捉える考え方もあると思う。・・・というのが、漠然と昨日飲んでいた自分自身への結論。よくわからん。



それにしても、昨日の問題は、海老春巻がいつまでも来なかったことだ。


執拗に海老春巻のオーダーを催促する私たちと、さらにラストオーダーにまだ海老春巻を入れるKちゃんに笑った。まだ食うんかい。海老春巻を。



楽しい夜をどうもありがとう。



右端の写真は、クルバのリング。7665円(→完売御礼 別色有り)。