広告とクオリア

gris-bijoux2007-05-26

「人間の経験のうち、計量できないものを、現代の脳科学では、“クオリア”(感覚質)と呼ぶ。」


ちょうど今、茂木健一郎の「脳と仮想」を読んでいます。特に「小林秀雄と心脳問題」の章。


「科学的世界観とは、数字に直すことができ、方程式で書くことができる世界観である。(中略)科学的世界観は、必ずしも私たちの経験の全てを引き受けているわけではない。(中略)方程式で書けるような科学の方法は、私たちの人間の主観的体験の問題に対しては、何の本質的洞察も提供しない。」



友人(広告代理店勤務)が日記の中で


「最近、理系の院卒がやたら新人で多く入ってくるけど、なんで?(せっかくならもっと研究を生かした道があるだろうよ)」


と書いていたのだけど、もしかしたら彼らは研究を進めていく上で結局は「クオリア」の壁に行き着いたのかもしれないね。



「私たちの心の中には、数量化することのできない、微妙で切実なクオリアが満ちている」と茂木さんは書いているけれど、広告の仕事は、一言で言えば、このクオリアをどう扱うか、という仕事だと思う。


彼らは、人間のどういう感情にどういう風に寄り添えば、人は、そのブランドに好意を寄せ、商品を買おうと思うのか、あるときは人間の喜びや驚き、あるときは人間の悲しみ、そういった数では置き換えられない、方程式では導けない人間の心の襞にいかに入り込んで人を動かしていくか、ということを四六時中考えている人たちで、簡単に数字では捉えきれないものだからこそ、いろいろ悩んで彼らは毎日深夜残業をしている訳であろう(たぶん)。


なんだか人の心に付け入る悪い人たちのようですが、


心の中で体験する、数にも出来ない、方程式にも書けない様々なものたちに目を向けない近代科学の精神に、


「ふざけるんじゃない。主観的体験のどこが、あやふやなものか。お前たちがあいまいだと片付ける心の中の様々なものたちを、はっきりと掴むことにこそ俺は人生を賭けてきたんだ。」


と、必死で言いたかった(怒っていた)小林秀雄に、もしかしたら通じるところのあるお仕事かもしれません。



ま、私はすっかり関係のなくなった世界なのだけど、広告であれば「商品とその周辺に対する世界をどう捉えるか」だし、例えば小説や映画や、ファッション、アートもまさに「世界をどう解釈し、切り取り、表現するか」ということだと思うし、数字では表せない質感(クオリア)をどう汲んでいくのか、この世界をどう捉えるか、ということに人の個性が出ると思うし、おもしろさがあると思う。真理とか正解とかはなくて、結局“捉え方”でしかないんじゃないか、と最近思っていたので、すごい興味深い本でした。ちょっと哲学っぽい内容なので相変わらずうまく書けないんだけど。



写真は、B.B.B.。かたつむりのネックレス。アメジストで紫陽花をイメージしています。¥13650(→完売御礼).リヨン帰りのMちゃんは、梅雨のシーズンにレインシューズとかたつむりのピアスを組み合わせたいと言っていました。相変わらずおしゃれです。