日常に潜む「マヌケ」
森見登美彦の「<新釈>走れメロス」は、マンガみたいだけど、大学時代特有の、どうしようもなくくだらない時間と、無駄な情熱と、いい加減な空気が伝わってきて、笑えた。
社会人になると、あー、なんて呑気で間抜けた時代だったんだろう、と思うけれども、でもうっかりしていると、大人になっても「マヌケ」は意外とすぐそこにあったりする。
少し前だが、友人たちとお好み焼きを食べていて、一人(広告会社勤務)がもう終電近くになって合流した。
「いやー、ごめん。お得意がさぁ、夜になって突然エプロンの柄が気に食わないっていうもんでさぁ。」
要は、CM撮影間近のタイミングだというのに、突如クライアントがそこに出てくる女性のエプロンの柄が気になり始めたのだ。
「・・・いやぁ、考えたんだけどね、やっぱりイチゴの柄はないんじゃないかと思うんだよ。」
「・・・はぁ。じゃあ、水玉にしましょうか。」
「・・・・うーん。何がいいと思うかね。」
もしかしたら、“エプロンの柄についての考え方”なるロジカルに組み立てた企画書をペラ一ぐらいで出しているかもしれない(想像)。
・・・・っていうか、どうでもいい。
深夜まで大の大人が真剣に話す話なのか。
本人たちはいたって真面目に打ち合わせしているんだろうけど、エプロンの柄についてみんなで頭を抱えている様子はやはりどこか「マヌケ」だ。
また、うちの妹は仕事がしんどい、しんどい、とやたら家でシリアスにぼやく。
その妹のデジカメに入っていたのは、
“覆面を着けたパーソナリティと、着ぐるみのパンダが一般スタッフに混じって普通に収録をしている”写真。
「なに、これ?」
「ああ。そういう番組なんだよ。それ。なんで?」
ちなみに、収録と言ってもラジオの世界の話なので、普通大人の世界では“そういうこと”にしておけばいいのであって、設定通りに本当に覆面を着けて(しかも1日中)、実際にパンダの格好もしなくていいと思う。
「・・・吉野さぁ、そういう仕切り、営業としてないんじゃねぇ?」
とか怒られてても、それはプロレスラー用覆面をした男と、パンダだ。
どんな職場だ。
私から見たらそれはものすごく「マヌケ」な風景なのだが、本人たちは日常すぎて気づかない。
日常に潜む「マヌケ」を客観視できると、割とこの世の中の重力が軽くなる気がする。深刻になるのがばからしくなるというか。ま、いいか、みたいなね。
写真は、Julie Sandrauブレスレット。¥18900