末続のコメントより。

gris-bijoux2008-08-23

就職活動のとき「好きなCMは?」と聞かれて必ず答えていたのが、「20世紀最後の冬が来る。」という民放の長野冬季オリンピックのCMでした。


風間杜夫タクシードライバーのCM。覚えてないだろうなぁ。すごい暗いの。


そんな暗いCMを「部屋の中を、こう、カメラがパンしてですねぇ・・・」とああで、こうで、と面接官に熱く語っていた記憶があります(←ウザい学生だ)。面接官も記憶に残らないほど、オリンピックだっていうのにえらいスタティックなCMです。


風間杜夫は昔いいところまでいったスピードスケート選手だったんだけど、挫折して今タクシーの運転手をしている訳です。そして、仕事をした朝帰り、家でテレビをつけると、ちょうどスピードスケートの試合をやっていて、画面からは高まった実況が流れる中、暗い部屋の中で風間杜夫はごろりとその試合を見ている、という薄暗ーいトーンのCMなんだけど、



オリンピックというのは、たくさんの挫折の上に成り立っているドラマなんだ、という部分にスポットを当てた15秒だったわけです。



小さい頃、野球選手になりたい、サッカー選手になりたい、と無邪気に夢を語っていた子供がある年齢になったときにあきらめていったり、高校野球で敗れていく高校生がいるように、とにかくオリンピックに出る選手たちはピラミッドの頂点にいる人たちで、その陰にはいろんなレベルではあるけれど、ものすごい数の挫折をしていった人たちがいる訳で、だからこそあの人たちはすごいし、その人たちですらいろんな葛藤や困難があって、「オリンピックを観る」というのは、それぞれがいろんな思いやある深さを持ってそこに人生をみていて、単純にただただ“夢”“チャレンジ”“感動”みたいな松岡修造的ハイテンションな世界観だけで描けるものではない、ということだったように思います。


400リレー後の末続のコメントが、「自分たちの結果は今まで日本の短距離界の先輩達が挑み続けて、悔しい思いをしながらも向上しようと積み上げてきたものがあったからこそだ(だから、このメダルはその人たちのものでもある)」みたいなことを言っていて、つまり、先達たちのたくさんの挫折があって、それがあったからこその銅メダルだ、という意味であったと思うんだけど、


レスリングの吉田も119連勝でストップして落ち込んでいた時に、母親が「あなたの陰には119の負けがあるんだ」と言われて自分を立て直した、という話をしていて、


頂点に立ちながらも、裏に存在する無数の「負け」に思いを置く、というのがね、逆にすごく謙虚な気がして、グッときました。なんか昔「自分が楽しめればそれでOK。」みたいなコメントする人が多かったけど。


昨日の末続のコメントがとても感じがよいなぁ、とふと、ずいぶん昔のCMを思い出したもので。だからなんだって話でもないんだけど。


それにしても、オリンピックの東京招致キャンペーンみたいのすごいね。江戸川の花火でも「オリンピックを呼ぼう花火」みたいな“富士山+五輪”花火があがってたけど、唐突すぎてビビった。なんか全体的に“ムーブメント作ろう感”が無理やりすぎる気が。あっちこっちで相当な広告費だと思うけど、あんなのに税金投入されてたら嫌だなぁ。



写真は、エダマメのブローチ。