小さい頃の友達のお父さんやお母さんというのは、私が大人になった今でも、未だにまだ小さい子どもを心配するような昔と変わらない、親戚のような感覚でいてくれているような気がします。




中学から友人のMちゃんのお母さんもそうで、お店をオープンしたときはすぐにご家族や妹さんを連れて遊びにきてくれたり、その後もお友達を連れて何度もいらしてくれて、


先日もブログで見たから、と東急のイベントにFRANZを買いにきてくださったのですが、もちろん代官山の店でも買えるし、なんならお電話いただければご自宅にお送りすることもできる訳で、


「でも、東急で買った方が売上の実績になるんでしょう?」


と、そんなことまでいつも気に掛けてくれて、人に贈り物をするときは「せっかくなら」ということでいつもFRANZを選んでくださっていました。




Mちゃんのお母さんはお料理のプロだったので、彼女の持ってくるお弁当はいつも誰よりも彩りも美しかったのが印象的で、お家に遊びにいっても、その完璧に整えられた空間が記憶に残っています。



ある日、Mちゃんの家に泊まりにいったときのこと。


その夜に、大学の先輩が急死したとの知らせがあり、次の日にそのまま直接告別式に参列しなければならず、私だけ少し早く起きて家を出なければなりませんでした。


早朝に起きると、



「これ、持っていってね。」



と、おろしたての白いハンカチと、黒いストッキングとお香典袋を、何も言わずにキチンと用意してくださっていて、


今思えば、どれもこれも、単に“配慮”というものを超えて、お母さん的な“愛情”だったなぁと思います。



自分の家族がベースなのがもちろんだけど、小さい頃に遊びに行ったそれぞれのお家のお母さんたちが作りだす空気のようなものを吸って大きくなり、そういうものが入り混じりながら、自分の家庭像とか母親像とか、そういうものは出来上がっているような気がして、Mちゃんのお母さんは間違いなく、私の中のお母さん像を構成する一人です。



「個人はとても大きな力で、日常や、周囲を照らす」



その力の大きさを、今とても感じます。


もっと感謝をお伝えしておけばよかった、というのが心残りです。


いつもブログを読んでくださっていたそうです。


いまさらになってしまいましたが、



長年に渡り、本当にありがとうございました。



心よりご冥福をお祈りいたします。