人生はヒマである

角田光代の「三月の招待状」をずいぶん前に読んだんですが、この前雑誌で誰かがレビューを書いていて思い出しました。


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大学の同級生のグループがそれぞれ30代半ばを迎え、それぞれ結婚したり、離婚したり様々な人生の局面を迎えているのだけれども、どこかみんな大人に成りきれていなくて、それは


「人生はヒマである、ということをそろそろ私たちは受け入れないといけないんじゃないかしら。」


という、“ヒマであることが怖くて、何かに焦り、人生を埋めようとしてしまう”ことが原因で、どこか地に足がついていなかったり、人生が満たされず、今に至っているのではないか、という超短く要約するとそういう話なんだけど、


この痛々しいかんじはわかるなぁ。


なんだか動き続けていないといけないかんじ、みたいのは塾やお稽古ごとで子供の頃から染みついていて、「暇」な時間は自分が止まってしまっているようで、自分だけがつまらない生活や人生を送っているようで怖いんだよね。動いていれば動いているほど、静止した時間に焦りだすというか。特に都心で生活していると、みんながいつもおしゃれをして、美味しいレストランで楽しそうに食事をして・・・と普通に街を歩いているだけで周りが「ハレ」のシーンで溢れているように見えるから、余計にね。


でも、「ヒマである」「つまらない」ことが人生のデフォルトである(みんなそんなもんだ)、と意識を変えるとずいぶんと楽で、ゆったりとした何も起こらない時間はそれはそれでよくて、「暇」をドラマ性で埋めるのではなく、ヒマを楽しめるというか、まんま受け止める方が人生は豊かな気がします。


ここのところフランツの関係で赤坂で仕事をすることも多いのですが、代官山に来ると本当にそう思うんだよね。


赤坂で仕事をしているとお昼も取れないぐらい動く毎日で(毎日いろんなことが起こるから)、一方、代官山ではゆったりと時間が流れて、お散歩しているワンちゃんや、木にとまる鳥や、街の女の子たちのファッション見てかわいいなーとボーッとしたり、なーんにも1日起こらなくても、日が沈んで暗くなって店を閉めて、今日は帰りに本屋でも寄って帰ろうかなー、とかそういう1日の方が豊かだなぁ、と思うのです。


今、“お店を始める前の自分”と“お店を始めてからの自分”が私の生活に共存していて、そろそろ昔の感覚を忘れていたのだけど、今一度両方をやってみると、自分がどういう生活を送りたいかがとてもはっきりと分かって、改めてお店を大事にしたいなぁと思います。


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