奥深き食器の世界。


会社に入りたての頃、まわりの子たちはガンガン企画書を書いたりエクセルで資料を作ったりしている中、私はなんだかひたすらあるテーマ(現代家族)に関する本を読ませられている時期があり、


私だけこんなことしていていいのかなー?なんか大学のゼミみたいじゃん。


と思っていたのですが、それを察した上司に


「資料作りのような外部の会社に投げてもできるようなことはどうでもよく、広告会社の人間に必要な思考や発想の方法をまず最初に学ぶことが今は一番大事である。」


といったようなことを言われ(今思えば、こういう余裕のある育て方ができるところが大きい会社の良さだよね)、それは何かというと、


どんなテーマでも良いのだけれど、一つ自分の中で体系的に知識や理解を入れておくとそれが木の幹になり、バラバラにいろんな知識が入ってきてもその枝の部分に引っ掛かって全てがつながっていくものだから、まずはその木の幹を自分の中に作ることが必要だ、ということで、例えば、現代家族という主軸を持って今の時代を分析していれば、ある切り口の部分が今のファッションだったり、建築だったり、音楽だったり、食だったり、全てのものにつながっているもので、まずはなんでもいいからそのベースを作ることだ、ということだったのだろうと思います。



で、話は食器になるのですが、せっかくいろんなことをいろんな方に教えていただける環境にいて、それぞれの知識が入ってきてもなかなか自分の中で蓄積されないというのは、それこそ幹となるような体系的な知識がベースとして自分にないんだな、と思ったので、ちょっと一旦勉強してみようと思って読んでいるのがこちら↓


単なる物や様式としてのカタログではなく、いかにこの陶磁器というものが政治や経済やそういうものに左右されて今に至っているのかという社会学的な流れの中で食器の変遷を追うのでものすごく面白いです。


昨日のフルステンベルクも、そもそもはオーストリア継承戦争で職人がマイセンから大量流出したタイミングを狙い、その職人を囲うかたちでへクストが立ち上がり、そのへクストから人をまた招くことでその秘法がフルステンベルクに受け継がれたという流れになっていた、というこの3つのブランドがそういうことになっていたのか!(つまりかなり親戚なかんじ)とか、超面白いんですけど!!(私だけ?)


当たり前だけど、食器はいわゆる芸術品というよりももっと市場原理の中で存在きたものなので、技術の開発と誰が資本を握っているかですごくブランドが振れるんだよね。その当たり前のことが改めて面白いです。すごく良いものを作っていても経営者次第で廃窯していってしまうブランドがこんなにあったのかというのも、なんだか人ごとではないしね。


去年はウェッジウッドロイヤルドルトン、ローゼンタールなどが破綻するなどしたけど、きっと大きな陶磁器の歴史の中で振り返ると、きっとこの数年は一つターニングポイントになるのかも知れませんねー。


今年は少し食器の世界を自分の中のテーマにして勉強してみようと思っています。


写真は、Julier Sion.\4500→¥3150.


http://www.gris.bz/shopping/index.html