邪悪なものの鎮め方
黒魔術の本っぽいけどね。
今の時代を私はこう解釈しますよ、という本です。
著者は大学の先生をやっていて、卒業式のスピーチで、マタイによる福音書の一節、
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。」
というあれは、本当かよ、みたいな話をするんだけど(キリスト教系の大学なのに)
これは、そもそも誰もが“自分を愛している”という前提になっているが、私たちの生きている時代は“自分を愛すること”が非常に困難な時代で、というのも、たとえば向上心なんていうのも、「今の私では満足できない」「私自身をうまく愛せない」という自己評価の上に成立しているわけだし、その自己評価の低さによって人々は競争に勝ち、階層をはいのぼるわけで、この資本主義社会で「自分を愛する」なんて容易な技ではない、みたいなことを話しているわけですが、
話は変わって。
先日、大学も一緒で、以前勤めていた会社も一緒だった友人と食事をしていて、
彼女は新聞社を辞め、広告会社に入り(今思えば会社のテイストも内容も違い過ぎて、たいへんだったと思うよ・・・)、突然中国語を一からやり始めて、会社を休職して上海に留学して仕事で使えるところまでもっていき、その後戻ってきて会社と直談判、駐在員として知り合いもいない北京に一人渡り、この前はなぜかスタッフなのに営業の役割まで一人でこなして大コンペを勝利する、という
あんた、いったいどこまでたくましいんだよ・・・・
というバリバリやっている女性ですが、いろいろ話をしている中で、
「思うんだけど、もうね、私たち、・・・充分やったよ。もういいと思うよ。」
という一言を聞いて、学生の頃からずっと見ているからというのもあるけど、なんかこう、あぁ、そうだなぁ、と沁みたんだよね。
別に仕事を辞めるとかそうことではなくて、もちろんまだまだなことはたくさんあるわけですが、そういうことではなく、きっと割と小さい頃から勉強とか仕事とか目の前にあるものに自分なりに一生懸命に真面目にやってきて、積み重ねて、悩んで、模索して、その連続で走ってばっかりだったけど
でも、ようやく満足できる自分に少しなれたから、そろそろちょっと歩こうか、また飽きたらどこでも走れるぐらいのものはがんばって身に付けたよね。
と言っている気がして、あぁ、ガッツがあるからそうは見せなくても、がんばったんだなぁ、彼女は、と泣きそうになったよ。
私のまわりでも、でも最近こういう女の子が多いかなぁ。小さい頃から長くがんばって今まで積み上げてきたものの約30年間の一つの集大成というか、一つ自分の中での区切り、みたいのがやっとやってきているような気がします。少しは何かを達成できて、ようやく、ちょっとだけ自分を愛せるようになったかも?みたいなかんじでしょうか。息止めてたけど、やっと深呼吸できた的な(?)。10代〜20代の邪悪なもの(キャリアの迷いとか未達成感などなど)は少しは鎮められているのかも知れないね。
ま、また違うステージが次にやってくるんだろうけれども。いづれにせよ、とにかく自分を愛するなんて、一生かけてやっていくことなのかもしれません。
Tom Shotのロングネックレス。スモーキーなベージュの色合いがありそうでない発色です。これからのシーズンに向けて。¥20000