切れ味ではなく、鈍器で断つ。
原研哉がツイッターで、テレビとwebにおけるタイポグラフィをめぐる表現について
シャープで繊細なだけでは遠くまで届かない。より多くの人々の感覚の奥底にまで何かを届けるには「鈍み」が必要。切れ味ではなく、鈍器で断つ。スピードと力と間合いをもって強靭に無数の感性を突き抜け突破していく「鈍み」。
NHKスペシャルのロゴはなぜ「書」なのか。「NHK」でしかも「SPECIAL」なのに。さらにメタリックにピカッと光ったりしている。しかしあの強靭なる「ダサさ」に、一億人の感覚を突破する「鈍み」がある。
と書いていて、なるほどなぁ、と思ったんだけど、
NHKの某番組の総合演出をしている友人に、「なんであの番組のキャスティングって、あんなぬるいかんじなの?」みたいな質問をしたところ、
「あのねぇ、NHKはダサくないといけないの。」
という回答が返ってきて、本人は代官山のboyでアシンメトリーな髪型にしちゃうくらいアヴァンギャルドな人なんだけど、ふーん、と思ったのを思い出しました。
前の会社(広告会社)もそうだったけど、少しトガったものは「その企画はIQが高すぎる」とか、「結局、“永遠のベタ”ともいえる定番がいいんだよ」といった、
“あえて大衆に向けて一歩下りる”
みたいなことはよくあったし、アクセサリーやお洋服でも、結局本当におしゃれでセンスがいいものはそんなに売れない、ちょっとダサい方が一般にはウケるんだよ、みたいなこともよく言われることなんだけど、
でも、私たちだって大衆の一人だし、その「“あえて”このへんでしょ?」みたいな狙いすました下り方というのか、上から目線というのか、どうも私はそういうことが釈然としなかったんだけど、
いや、でもそうか、それはもしかして大衆をばかにしていることではなく、コミュニケーションの手法としてこの場合何が一番効くのか、砥いだ刀の切れ味も、鈍器の力強さも知った上でポジティブな意味でのプロの大人の使い分けだったのかもしれないな、とふと思いました。
人もそうだよね。意外にみんな心動かされるものは、スマートでかっこいい人よりも実は愚直なかんじの人だったり。
・・・なんてことを朝電車に乗りながら、ツイッターみて思った今日。よいお天気なので、みなさん代官山までぜひ。
写真は、JUNCO.ブローチがしたくなってくる季節。ジャケットやコートの襟とか、スカーフ留めたり、ブラウスやセーターのアクセントに。ブローチって使いだすとすごい便利ですよ。¥11100